成長の過程で必ず通る難関。
大人になる前に経験すべき儀式のようでもある。
私もあった。
だいたい小学生からはじまる。
仲良しグループ。ある日突然無視される。
グループの誰かがあの子最近気に入らないと言った瞬間からはじまるのだ。
原因はそんな他愛も無い。
そしてそれは順番に廻ってくる。
なんか飽きたね、次は誰だ、というように。
まだ全てが形成途中の年頃だからその子が仲間外れになった時、可哀想だなと思いながらも、仲間が嫌いならしょうがないと一緒になって攻撃した。自分の意志にまだ自信がないからだ。不本意な気持ちを押し殺してみんなに合わせる。
そして気がつけば自分が嫌われる。
順番がきたな、と思った。
そのパターンは見えてる。自分もやっていた事だからどう嫌われるのか分かっていた。
しかしいい加減いじめたいじめられたという事に対して辟易していた所だったし、別に嫌われてもいいやと気にしなかった。と言っても私達の場合は無視されて嫌みや文句を堂々と言われるくらいだったから耐えられたのかもしれない。靴を隠されたり小さな文字でびっしり死ねと書かれたりとか陰湿なものはなかった。
そもそもやられたらやりかえす気の強い性分であり、大声で悪口を言われたら大声で言い返して逆に相手を黙らせたりしていた。
その後私はターゲットから外れ、今度は別の子がいじめられた。
少し前であれば一緒になっていじめただろうけど、それがどれ程バカらしく虚しいか気付いたし同調しなくてもやっていけると分かった。
私は私。
納得のいかない他人の意見など知らない。自分が嫌いでなければ仲間外れする必要ないとその子に対して態度を変えず友達でいた。
随分と時が経ちすっかり大人になった今もその子は言う。
「あん時話してくれたのナオちゃんだけだったけん。」
未だに感謝してくれてる。
まぁそれでもその後それぞれがわだかまりもなくなり友人として仲直りしている所をみると、みんな根は優しかったのだろうと思う。
だから誰もが通る試練でそういう時期だったと思ってた。
ハートを強くする為の。社会に出て簡単に心が折れないように。この先の人生と闘う為の。
けど、現代のいじめはどうなのだろう。
命を絶ったり。
体を傷つけられたり。
試練にしては余りに難易度度が高く超えられないレベルになってないか。
いじめが酷い?
精神面が弱い?
守ってくれる人は?
逃げる勇気は?
未来に望みは?
誰が悪いかっつったら圧倒的にいじめる人が悪い。
死を考えさせる程追い込んではいけない。
だってそれは殺人だ。
悲しい。
どちらの立場の人にも問うてみたい。
なぜそうなった?
希望など見いだせない暗闇に閉じ込められている人。
負けないで欲しい。
出口を見つけて欲しい。
幸せに出会うまで諦めてはいけない。